2013年10月19日土曜日

新しい部署

今日は二日酔いにも関わらず、すらすらとかけているなあ。3回目の投稿です。

僕は観光警察の仕事を長年やってきた。

そしてこの度、ムアン警察署(ワットプラシンの近く)に外人部隊が併設され、そこの仕事も兼務する事になったのです。

制服は警察官と変わらない。違うのは袖につけるエンブレムくらい。IDカードにはボランティアの文字はない。

観光警察と違い、観光客以外の外国人も対象になる事から結構忙しくなるかもしれない。

今後ともよろしく。

どうにもならないホームレス突入者

3月30日夜半

居酒屋ぐでんぐでん2号店で知り合いと楽しく飲んでいた時だ。

恋人に追い出されて住む家がなくなった日本人がいるので引き取ってくれないかという内容の電話がサンカンペーン警察署から入った。

引き取ってほしいと言ってもそんな物じゃあるまいし困ったものだなと思ったが、迎えに行くことはできないけどチェンマイまで連れて来てもらえるならどうぞと言って電話を切った。
 
それから約1時間過ぎた頃、“その人”はやって来た。
いくつかの荷物をかかえて。

彼は追い出された上に何と無一文だったのだ。しかもビザは31日で切れてしまう、まさに次の日。

さてどうするか、タイ人の友人はかわいそうだから泊めてあげたら?というが、いくらなんでもそう易々とはねえ。
でもまあ行くところもないのだから、とりあえず一泊くらいならと言う事で家の一角にある図書室で寝てくれというと不満そうな顔で「食事はどうなりますか?」と言ったので、『おまえは何様じゃあ!』当然切れました。「あのねえ、親切で泊めてあげるのに不満なら泊まらなくてもいいですよ。」と言うと「じゃ、泊まりません!」だって。

好きにすればいい。彼はいくつかの荷物かかかえて家から出て行ったのだが、しばらくは門の前に立ち往生状態だった。(これでも心配だからしばらく経ってから外に様子見に行ったんですよ。)
でも二度目に見に行った時には荷物と共にいなくなっていた。

そして次の日午前9時を回ったあたりだったか、総領事館から電話があり、「Uさん、昨日なんかありませんでしたか?」と聞かれたので、いきさつを説明するとその本人が総領事館に来ていて、僕に追い出されたと言ったそうな。そう、確かに追い出しっちゃったような感じでもあるけど、

『そうじゃないんだよ。』

とりあえず、総領事館に駆けつけ今後の対策を領事と相談したが、良知開かずで結局のところ家であずかる事になった。領事がきちんと僕の立場を説明してくれて、その彼も詫びを入れてくれたので 承諾した訳だ。

かれこれ2か月近かったろうか、その間何度も入管に出頭したが、門前払い。どうしたものかと考えてたら脱北者の収容所の事を思い出した。『もしかすると、あそこなら』と本人に説明し、少しの金を持たしてメーサイに行ってもらう事にした。そしてめでたく?収監されその後はバンコク刑務所にいいたとの報告を受けた。

これはS氏の捕まる前の事で、S氏の件で初めて分かったのだが、北部で入管に捕まるとどうも皆メーサイ送りになるようだ。

それから間もなく経って

出所して帰国が出来そうだとの知らせを受けた。交通費は海外で困窮している人に国が一時的にお金を貸してくれる制度があり、それの適応だという。

よかったよかった。

頑張ってリセットしてね。












オーバースティ、万引きその後

以前書いたオーバースティの日本人のその後

本人の意思によりその後もオーバースティのままホームレスを続けていた日本人S氏。

何とかリセットしてもらおうと作家の友人と考えた救済策はホームレスになる経緯を本にしてその原稿料でチケット買って帰国というあらすじだった。

そして原稿料もなんとか稼げ、S氏に渡したところ受け取った途端逃げられしまった。
骨折り損のくたびれ儲けとは正にこの事か。

それから半年ほど経った8月某日、チャンプアク警察署から電話があり、食堂で食い逃げした日本を捕まえた、身元確認のため所持品チェックでパスポート期限切れでオーバースティだという。来てくれと言われたがとりあえず本人と電話で話すと「私です、Sです。」と聞き覚えのある声。ああやっぱり、むかついたので結局僕は署に行かずに済ましてしまった。こんなケースは総領事館が動いてくれるので邦人援護に一報し、それで終わりにした。

その後、彼はしばらくチャンプアクの留置場にいた後、メーサイに移送され、バンコクの刑務所に移ったと報告を受けた。

出所したら日本に帰ってリセットしろよ!Sさん。

2013年3月16日土曜日

過去の万引き事件

2008年某月某日

だいぶ前のことで何年だかうる覚えだが、多分5年程前の話。まだ、リンピンスーパーがチャンプアクにあった頃のある日の夜。警察からの呼び出しでリンピンスーパーで日本人が万引きしたから来てくれとの事で出向く。

万引きを働いた老人は在チェンマイ3年ほどの人物で年金暮らし。万引きの手口は他店スーパーの袋を店内に持ち込みその袋の中に商品を詰め込み、さも他店で買ったように見せかける手口だったが、すでにマークされていたので、レジを通過後に警備員に抑えられた次第。

リンピンスーパー側は絶対許さない構えで何とか和解に持ち込もうとした観光警察もタジタジ状態だった。結局その場で逮捕となり裁判の結果、この老人は刑務所暮らしとなった。

この老人の万引きはいわゆる癖。事情聴取では身寄りもなく、全くの孤立無援、哀れ。しかしお金の余裕はないが、質素に暮らせばチェンマイでは楽々の年金収入だったのに居場所を自ら無くす羽目になった万引き癖には懲りたんだろうか。

出所後彼はタイにいられなくなったのは言うまでもない。

2013年3月11日月曜日

無銭飲食

2013年1月某日

事件はいつ起きるかわからない。自分の都合に関わらずやってくる。

ある日の夜中の出来事。チェンマイでも超高いカラオケチェーン店で飲み食いし、金が払えなくて捕まった日本人がいるんだが、これがまたケッタイな日本人。

本当に金は無く、しかも荷物らしい物も持ってない。多分どこかに置き忘れたか、置き引きにでも遭ったのだろうか、とにかく所持金なし。

自分が無銭飲食をしているという罪の意識ゼロ。それどころか日本なら金のない場合、ツケが利くのにここでは出来ないのか?と言って来たので「日本だって知らない人にツケなんかする訳ないでしょ。」と言うと、「なんだその態度は!?」「訴えてやる!」だって。

あげくに総領事館まで金を借りに行き、なおかつ、そこまでのトゥクトゥク代も総領事館に払わせたらしいから、ここまでくると開いた口が塞がらない。

この件は別件があったので、ほとんど担当してないが、その後何とかなったと邦人援護からは聞いている。


2013年3月8日金曜日

万引き

2012年12月某日
 コンムアン警察署から「万引き犯の日本人を確保したから急いで来てくれ!」と仕事中に電話があり、即急行する。その日本人(Sさん)は本屋で万引き現行犯により逮捕された。被害を受けた本屋ではしばしば被害に遭っていて前からマークしていたらしく、日本人(Sさん)が入店した時点で警察に通報、そして御用。

 事情聴取すると彼は1年近くホームレスでしかもオーバースティ状態。ありきたりの質問だったが、なぜこんなことをしたかと尋ねると金に困っての仕業と、これまた想像通りのお答えだった。

 こんなケースの場合、窃盗とオーバースティだから当然刑務所行きなのだが、その後、彼はまたまたホームレスを続けることになる。居場所は聞いていたので、時々お金を持って訪ねたが、ホームレスのくせにとにかく綺麗好き。毎日公衆トイレで体を洗い、洋服も2日に一回は洗っているという。こんなホームレスはタイには無いなあと驚くばかり。

 自首を勧めるが、その気全くなし。本人、事業に失敗して死ぬ気でタイに来たと云う。まあ、いろいろ事情はあったと思うが傍から見ると死ぬなど微塵に感じられない。死ぬ気の人間は食の為に万引きなどしないじゃないのかね。

チェンマイ在住恥ずかしい日本人の一人に仲間入り。
まあ、そこいらにいる喰えない日本人よりまだましか。

自己紹介

チェンマイで観光警察のボランティア活動参加して、早や6年。その間起きたケースや警察の立場から見て変だなと感じる事柄をつづろうと思います。

さて、始めは自己紹介なんぞ。

チェンマイ在住歴24年、老け顔だが、今年で58歳の若さ。チェンマイ日本人社会ではすこぶる評判は悪い。
13年前に仕事を一緒にやった人物(現在どこかの執筆員)が誹謗中傷の限りを尽くしたおかげで、伝説的な悪党となってしまった。
しかしながら一般的には知られてないが、日本人会やロングステイ団体の裏方仕事で貢献はしていて自分で云うのもなんであるが実態はとても善人。そしてタイ社会ではむちゃくちゃ評判は良い。

現在は商事会社とマイメディア紙を経営。他にライオンクラブ、商工会議所会員、日タイ友好フォーラム、慈善団体(財団)などに関わっている。
趣味の世界では毎年開催している草の根音楽交流祭「シャンバラまつり」の主催者側で陰ながら頑張っている。

以上、自己紹介終わり。